03


司が東寮に来て三日目。
本人の申告通りソファで寝ても何の問題も無く。また九鬼と共に食堂で朝食をとり、デザートにバナナを付けられ、ちょっとばかり気分よく九鬼と共に東校舎へと登校する。

「今日は二年の教室まで連れて行ってやる」

「当たり前だ」

三年と二年。学年が違うにも関わらず司はこれまで通り、九鬼にはため口を使う。その上、少しばかり上から目線で偉そうに返した。

「たしか、俺が渡って来た渡り廊下があるのが三階だろ?」

「あそこは主に移動教室で使う教室が並ぶ階だ」

だから一年もいれば、二年、三年と学年の違う生徒達がいる。なのでそこで司が九鬼を捕まえることが出来たのだ。

「なるほどな」

話しをしながら生徒玄関をくぐった司の隣で微かに九鬼の瞳が鋭さを増す。すぅっと目だけで周囲を確認した九鬼は、意図して何もなかったかのように振る舞う。

「そういや、その渡り廊下の鍵はどうしたんだ?持ってるのか?」

風紀委員長から渡されたという。

「あぁ、持ってるぜ。絶対に無くすなってうるさく言ってきやがって。俺は子供か。学園の備品を俺が無くすわけねぇだろ」

まったくアイツはと、憤る司はそう釘を刺してきた相手の顔を思い出してか、不満そうに呟く。

やはり、九鬼が昨夜電話で話した時の逢坂の印象と、司の口から出る逢坂の印象は少し違うようだ。まぁ、対峙する相手に寄って顔を使い分ける人間もいるし。そんなものか。

登校して来る生徒達に混じって二人も東校舎内の階段をのんびりと上がって行く。
一階から二階、二階から三階へと階段の途中で広くなっている踊り場を通り、四階へと上がる階段に足をかけた。

その時――。

ざわざわっと急に階下が騒がしくなり、バタバタと人の走る音と悲鳴。それが二人の耳に届いた。

「うわっ!?なんだ、こいつ!?」

「どっから現れた!?」

「あっち!渡り廊下だ!」

「えっ、嘘でしょ!?」

校舎内に足を踏み入れてから嫌な空気を肌で感じ取っていた九鬼の行動は早かった。階下の騒ぎに気付くと舌打ちをもらし、すぐさま隣にいた司の腕を掴むと、鋭く言い放つ。

「走れ、司」

「はっ…、え!?」

上階を目指して駆けだした九鬼に引っ張られる形で、よく分からないながらも司も足を動かす。その場に遅れて届いた声に司は目を見開いた。

「おいっ、どこ行くんだよー!俺が迎えに来てやったぞー、司―!」

にぱっと無邪気に笑った顔が上を見上げて叫んだ。

「なんっ、どうしてアイツがここにいるんだ!?」

その姿は間違えようがない。本校舎にて司を追い回していた例の編入生であった。
狼狽えた司に九鬼が冷静な声で言う。

「落ち着け。どうやって侵入したかは問題じゃねぇ。今は奴をどうするかだ」

「あ、あぁ…。そうだな…」

直ぐに頭を切り換えて対処にあたろうとする司に、東校舎の最上階まで辿り着いた九鬼は司共々自治会室に入る。そこは昨日の放課後、司が仮眠をとった教室だ。ぴしゃりと勢いよく扉を閉めた九鬼に司が懸念事項を伝える。

「奴相手に立てこもりは無理だぞ。それで生徒会室の扉を壊されたことがある」

まだ校舎内を逃げ回っていた方が逃げ切れる。編入生には持久力がない。

「そんで、その時はどうしたんだ?」

司と話をしながらスマホを取り出した九鬼は何やらスマホを操作し始める。

「そん時は…逢坂が、風紀の奴が騒ぎを聞きつけてやって来た。だが、何故か奴はその前に逃げて行った」

同じ役員共の妨害もあり、司は忌々しそうに眉を顰めて答える。

「孤軍奮闘か」

どちらも。司も逢坂も、互いに編入生という共通の敵を相手に各個で立ち回りを演じていたのか。もっと二人が協力出来ていれば、もっと早く片が付いた可能性もあったかも知れないな。だが、あの逢坂の口振りでは一般人である司には何も知らせず終わらせたいという気持ちがあるようだ。逢坂にとって司は庇護対象か。まぁ、この手の問題は相手が信じるか、信じないかで自分を見る目も変わって来る。そこには伝えることでの恐怖も付随してくる。それを考えれば仕方がない部分ではあった。

九鬼は操作していたスマートフォンをポケットにしまうと、厳しい表情を浮かべ自治会室の扉を睨むように見つめる司に声をかける。

「司。俺が昨日やった鶴は持ってるな?」

「は…?あ、あぁ…」

緊迫した状況の中、全く関係のない質問をされて司は戸惑いながらも己の左の胸ポケットに左手を添えて頷き返す。それから九鬼は先程の話の続きをする様にもう一つの質問を投げかけた。

「渡り廊下の鍵は?」

「…持ってる」

そう言って司は制服のズボンのポケットの中から、音の鳴らない鈴のついた鍵を九鬼の目の前に掲げた。それを目にした九鬼の瞳が静かに細められる。

「魔除けの鈴か」

「は?」

そっと持ち上げられた九鬼の右手が音の鳴らない鈴に触れ、何事かを呟く。司はその意味が分からずに首を傾げた。

「いや、なんでもねぇ。俺の鶴と一緒に肌身離さず、その鍵も持ってろ。大事な物だ」

「あぁ」

渡り廊下の鍵が学園の大事な備品だと言うことは、九鬼に言われずとも司にも分かっている。その意味で司は九鬼の言葉に頷き返した。

その間にも廊下の方からはバタバタと騒がしい足音が近付いて来ている。

ちらりと焦ったように教室の扉に目をやった司に続いて九鬼もそちらに目をやり、ふっと細く小さく息を吐く。司の頭にぽんと右手を乗せ、司の意識を自分の方に引き戻して九鬼は告げた。

「大丈夫だ。アレの相手は俺がする。お前は俺を信じてここで待て」

「そうは言っても、どうするつもりだ?奴には話も通じないんだぞ」

「あぁ…、俺が相手にするのは中身の方だ」

「は?中身?何言って…」

「説明するより見た方が早い。…その後でお前が何を信じるかは、お前に任せる」

九鬼はそっと優しく司の頭を撫で、それから一人教室の扉へと向かう。

「ちょっと待て!一体何の話をしてるんだ?俺にも分かるよう説明しろ!」

背中に掛けられた声に、九鬼は少しだけ背後を振り返るとふっと口端だけで笑って静かに言った。

「後でな。お前は良い子で待ってろ」

「っ待て、九鬼!」

がらりと教室の扉を開け、廊下に出た九鬼は後ろ手ですぐさまその扉を閉めると、念を入れて外側から教室の扉に『封印』の呪をかける。これで中からも外からも自治会室の扉を開けることが出来なくなった。

司はびくともしない扉に焦れて、中から何度も扉を叩く。

『おい!開けろ、九鬼!』

何か仕掛けがされていることに直ぐに気付いた司は中から扉を叩き、ちょうど目線の高さに設置されていたガラス製の小窓から廊下を見て、九鬼に向かって怒鳴る。
その声は聞こえている筈なのに廊下に立つ九鬼は司の声に応える素振りはない。それよりも廊下の先を見据え、酷く剣呑な空気を纏う。

『――っ』

何だ?何が起きている?

正直司には何が何だか分からなかったが、九鬼が悪戯で自分をこの教室に閉じ込めたのではないことは司にも理解出来た。小窓から見える九鬼の横顔は真剣そのもので、鋭く研ぎ澄まされた双眸は一点を見つめている。

そして、その時がやって来た。

「はぁ、はぁ…っ、もう、照れ屋なんだから、司は…。俺が…あれ?…お前、誰だ?」

こんな奴いたっけと?息を切らせながら廊下に現れた編入生は九鬼を目の前にして首を傾げる。男にしては大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、まぁいっかと小さく呟く。それから、編入生はにぱっと可愛らしく笑顔を浮かべてお決まりの台詞を口にした。

「お前、格好良いな!俺と友達になろう!」

人類皆お友達の精神でも宿っているのか、編入生は容姿の良い連中を見つける度に、学年役職を問わず、相手を褒めてからそう口にするのだ。編入生自身も言動はともかく、容姿は可憐で可愛い系で整っており、男子校であるこの学園ではその容姿に庇護欲を掻き立てられる輩が多いのか、司を除く生徒会役員達に編入生はちやほやと可愛がられていた。

司には何となく、それが良くできた作り物の様な顔に見え、その言動も嘘くさく思えて、何だか嫌な感じしか覚えなかったのだ。だから、編入生に近付かれることを極端に嫌い、距離を取るようにしていた。

九鬼と対峙する編入生に司は眉を顰める。

『九鬼…』

九鬼はこの編入生を前にどうするのだろうか。役員達の様に編入生の虜になってしまうのか。司はもやもやと重たくなった気持ちを胸に抱き、九鬼からの返答を待った。

「…なるほどな」

だが、九鬼が口にした言葉は司が危惧する様なものでも無ければ、予想にもなかった呟き。九鬼が何に納得したのか、よく分からないまま、目の前の展開は進んで行く。
九鬼は編入生の言葉に答えることなく、右手を持ち上げると滑るような動きで縦横に九字と呼ばれる印を空中で切り始めた。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

「なっ、おまえは…っ!?」

その行動に編入生の顔色が変わる。驚愕した様子で目を見開き、九鬼を凝視する。

「オン・キリキリ、オン・キリキリ…」

九字に切られた刀印は流れるように次の印を結び、その口から紡がれる呪言も変化していく。途端に編入生はその場から逃げるように九鬼に背を向け、駆け出そうとし…。

「オン・キリウン・キャクマン!」

がくりと、その場に崩れるようにして膝をついた。

「うっ…、くっそ…っ!」

編入生はその場から逃れるようにもがくが、ぴくりともその身体は動かなかった。

一連の流れに司はただ目を見張り、その光景を言葉も無く見つめる。

不動金縛りの法という術を完成させた九鬼は研ぎ澄まされた清廉な空気をその身に纏い、僅かに色味を増した双眸でもって編入生へと声を掛ける。

「止めておけ。お前はもう逃げられない」

無理をすればその器が傷つくだけだ。

「くっ…そっ!…こんな、ものっ…」

一歩、一歩、九鬼が編入生へと近付く。
それにより、編入生の様相が変わって行く。

「壊れてしまえばいいっ!アイツと一緒になって、アタシを見捨てた!こんな子供っ!」

ぶわりと肩口で切り揃えられていた編入生の短い髪の毛が逆立つように広がる。甲高い声で叫んだ編入生の顔の輪郭が滲む。何かが重なって見えるその現象に司も九鬼が見ている世界を垣間見る。

『っ、…なんだ?…女?』

ソレは編入生の身体を包むように、ぼんやりとその場に浮き上がる。髪の長い女。

しかし、その女も編入生同様その場から動けないのか、直ぐ側で足を止めた九鬼を血走った目で睨み上げる。その口から恨みの言葉が止まる事はない。

「殺すなら、アタシごと殺しなさい!アイツの大事なモノ、今度はアタシが奪ってやるんだから!」

喚き散らす女に対して、九鬼は酷く落ち着いた様子で、冷静な声で言う。

「向こうにいる退魔師にならその脅しが通じたかも知れないが、生憎俺の方は魔を滅するより、祓う方が得意なんだ」

本校舎の風紀委員長、逢坂は退魔師。ならば、退魔に関しては得意分野だろう。しかし、この目の前にいる悪霊もどき、これを祓うとなると話は少し違ってくる。

九鬼は深みの増した双眼で、編入生に憑りついてる女に語り掛ける。

「編入生であるお前、物部 揚羽(もののべ あげは)がうちの学園に編入してくるきっかけとなったのが二ヶ月前にあった交通事故だ」

揚羽を女手一つで育てていた、その母親が交通事故で意識不明の重体になった。
一人残された揚羽は未成年で、まだ大人の庇護が必要であった為、母親の兄弟、実の兄で、揚羽から見れば伯父であるうちの学園の理事長が、揚羽を手元に引き取ることになった。それで揚羽はうちの学園へと編入して来た。ちょうど学園は全寮制で寮もある。衣食住の心配はない。

九鬼の話に司もそうだったのかと九鬼の話に真剣に耳を傾ける。だが、その内容に納得しないものもいる。

「ウソよ!全部、でたらめだわ!アタシが死んだのも!もとはと言えば、全部、タカノリが!兄さんが悪いのよぉ!」

女は呪詛を吐き出すように叫ぶ。

「アタシたちの結婚を反対して!そのせいで彼とは喧嘩ばかり!財産なんてなくたって、彼がいればよかったのにっ!なんで、アタシばかり!アタシばっかりッ!苦労して育ててやったアゲハも、結局、兄さんに靡いて!アタシを一人にするのよぉ!だったら、最後に一度ぐらいっ、一緒に死んでくれたって良いじゃないっ!」

この子をどうしようが!母親であるアタシの自由よっ!

朧に見える女の姿の向こう側で、意識の無い編入生の眦から一筋の涙が伝い落ちる。
それに瞳を細めた九鬼は新たな印を結び、続けて言う。

「お前の言い分は分かった。辛かったろう、寂しかったろう。一人でよく頑張った。そう言葉にして伝えても俺の言葉はお前には届かないだろう。だが、それでも、お前が知るべきことが一つある」

「はっ、…いまさら何よ?何を言われてもアタシは…!」

「今なお、お前の側には、自分の命の一部を分け与えてくれる人間がいる」

「は…?なに…言って…意味、分かんないし」

九鬼の足元から暖かくて清浄な空気が廊下へと広がって行く。
女を取り巻いていた暗くどんよりとした湿った空気が徐々に薄れていく。

「二ヶ月か。事故を起こした現場には悪い気が溜まりやすい。それでお前は周囲を彷徨い歩いていたお仲間に唆されたんだろう」

「……?」

ふっと一つ息を吐いた九鬼は力強く言霊を紡ぐ。

「目を覚ませ。お前は『まだ』死んでいない。お前の器は『まだ』病院で生かされている」

そして、

「お前が恨んでいるその兄貴がこの二ヶ月、お前の前にも現れず、学園にも姿を現さず。今、何処で何をしていると思う?」

「…っ、そんな、まさか!嘘よッ!そんなこと、あるはず…ッ!」

「お前の器の損傷は酷かった。だが、お前の兄貴は妹が助かるのならと、自ら進んで自分の臓器の一部提供を申し出た。…分かるか?お前は見捨てられてもいなければ、一人でもない」

「そ…んな――っ、兄さん…っ」

女の影がゆらゆらと不安定に揺らぎ始める。

「ソイツに憑りつくことが出来たのも、ソイツが心のどこかで母親であるお前を求めたからだ」

「っ…うぅ…アゲハ…っ、ごめっ…」

長い髪の隙間から、はらはらと透明な雫が落ちる。

「…ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」

祈るように唱えられた呪が、女を捉えていた負の感情を祓い、辺り一帯を纏めて浄化する。

どさりと完全に力の抜けた編入生の身体が廊下に倒れ込む。一方、完全に編入生の身体から切り離された女は呆然とした様子で、その場に立ち尽くしていた。その背後にさぁっと小さく頼りなくはあるが仄かに光る暖かな光が差し込む。
九鬼は女の背後に伸びる光を指さし、最後の言葉を送る。

「それはお前の帰りを信じて待つ者の祈りだ」

その道を行けばまだ帰ることが出来る。

「でも、アタシは…」

女の視線が廊下に倒れた編入生に向かう。

「後悔も謝罪も生きている人間にしか出来ない事だ。こいつに対して思うことがあるなら、まずは生きろ。生きて、文句でも恨み言でも聞いてやれ」

それも生きている人間にしか出来ない事だ。

「そう…ね。ごめんなさい」

するりと憑き物が落ちた様に柔らかく笑った女は、その後、背後から差し込む光に導かれるようにすぅっと空気に溶けて消えた。
それを見送り、九鬼はふぅと大きく一つ息を吐く。

「さすがに生霊を成仏させるわけにはいかねぇからな」

退魔師も対応に苦慮するわけだ。

九鬼は廊下に倒れ込んだまま動かない編入生に歩み寄ると、その首筋に指先を当て、脈を測る。

「とりあえずこいつは保健室行きだな」

その前に、九鬼は司のいる自治会室の扉の開錠に向かう。
扉に触れ、「解」と短く口の中で呪を唱えれば、自治会室の扉は先程までの抵抗が嘘の様にがらりと勢いよく開く。

「わ、ぶっ!」

扉の先にいた司が勢いよく飛び出し、九鬼の身体に衝突する。それを見越してか、九鬼は余裕そうな顔で飛び出してきた司の身体を正面から抱き留めた。

「おいおい、あぶねぇだろ」

「っ、それは、こっちの台詞だ!それにアレは…!」

「説明してやるから、ちょっと落ち着け」

だが、その前にと九鬼は司を腕の中に抱き留めたまま、ごそごそとポケットを探ってスマートフォンを取り出す。同じ自治会仲間に編入生の回収と、自治会室のあるフロア封鎖の解除を通達しておく。

「………」

「ん?」

その間、静かになった司が何をしていたのかというと、ぺたぺたと制服の上から九鬼の身体を叩いていた。

「何してんだ、司」

「さっきの、怪我とかしてねぇよな?」

どう見ても九鬼の一方的な勝利に見えたはずだが、それでも司は心配らしい。自然と九鬼の口角が緩む。

「何も問題はねぇよ。大丈夫だって言ったろ?」

スマホを操作する手とは逆の手で司の頭をぽんぽんと叩く。

「っ、やめろ!そんなことより…」

九鬼の手から逃れようとした司は身を捩り、視界の隅に留まった廊下に倒れたまま動かない編入生の姿に言葉を途中で途切れさせる。そして、恐る恐る九鬼へ問いかけた。

「アイツ…、大丈夫なのか?」

「ん?」

司の視線を追って、編入生へと目を向けた九鬼は尚も腕の中に司を留めたまま言葉を紡いだ。

「アイツももう大丈夫だ。直近の記憶は失うだろうが、アイツに憑りついていたモノは祓った。もう騒ぎを起こすこともないと思うが」

「それって…幽霊ってやつか?俺にも何か見えたんだが」

編入生から九鬼へと視線を戻した司が戸惑ったような表情で九鬼を見つめる。その視線を真っ向から受け止めた九鬼は、誤魔化しの言葉を口にはせず、正直に今起きた事を司に伝えた。

「幽霊というか、今のは生霊だ。編入生が編入してくるきっかけとなった二ヶ月前の事故で、あの女は自分が死んだと勘違いしたんだろう。本人は病院の中で治療中なんだが、死んだと思い込んだ女は生前の恨みを晴らそうと息子である編入生に憑りついて、やりたい放題してたってわけだ。俺は寺の出だからな、こういうことはたまにある」

「……そうか」

直接目にしたものを否定するほど司は頑固ではない。逆に目にしたからこそ、信じられる。九鬼の言葉も。司は胸ポケットにしまわれていた折り鶴を取り出すと、じゃぁこれもと九鬼に向かって問いかける。

「手品じゃないんだな」

「そいつは簡単な式神だ。お前を守ってくれる」

「……悪い。手品だなんて言って」

「気にすんな。お前は知らなかったんだ」

勝手に俺が持たせたものだと、九鬼は笑って司から手を離す。
程なくしてばたばたと人の駆けて来る音が近付いて来る。九鬼が後始末の為呼んだ自治会のメンバーだ。

「さて、どうする司」

「なにがだ?」

「予定通り二年の授業を受けるか、また俺と一緒に三年のクラスに行くか」

この後の予定を聞かれていることに気付き、司は少し考えた後、真っ直ぐに九鬼を見て、はっきりとその答えを口に出す。

「お前が行く場所でいい」

「お?いいのか。授業を受けなくても」

「よくはないが、それよりもお前のことが知りたい」

「ほぉ」

「知らないままは気持ちが悪い。だから、お前の事を教えろ」

先程の事も含めて。

熱烈な言葉に九鬼は笑みを深め、近くまで来ていた自治会のメンバーは司のその言葉を耳にして、各々内心で騒ぎ立てる。ここにまたあらぬ噂が生まれたが、司は知る由もなく、九鬼に促がされるままその場を離れ、二人仲良く並んで三年の教室へと去って行った。

「ひゃー!神谷会長も言うっすね!」

「聞いてはいけないことを聞いてしまったか…」

「しまった!ここにもカメラを仕掛けておくんだった!」

「自治会室周辺は九鬼さんに禁止されてるでしょ」

「あー…我らが会長にもとうとう春が…」

などなど、騒がしくおしゃべりをしながらもその行動はテキパキと素早かった。
気を失って倒れている編入生を保健室に運び、念の為、廊下の結界を確認する。他にも渡り廊下を中心に穴がないかを確認し、浄化できる者は浄化をかけて行く。
そして、いつも通りの日常へと戻って行く。








「――神谷」

普段とは少し違う、どこか躊躇いがちに掛けられた声に、本校舎内の廊下を歩いていた司は背後を振り返る。そこにあった姿にほんの少しだけ眉を顰めて答えた。

「何だ?渡り廊下の鍵ならこの前返しただろ」

そこにいたのは本校舎で風紀委員長を務める逢坂だ。司と同じ色のネクタイを締め、風紀委員らしくきっちりと制服を身に着けている。

司の素っ気無い態度、編入生の件があった後も変わらないその態度に逢坂は内心で安堵しつつ、司に声を掛けた用件を思い切って告げる。

「その件で私は反省文を提出してきた。共犯者としてお前の名を記しておいたから、その内お前にも呼び出しがくるだろう」

「はぁ?あれはお前が…!」

「緊急避難だが、何も知らない教師たちにとっては悪戯に映るということだ」

「……」

逢坂に関しても九鬼から少しだけ、逢坂の家業のことについて話を聞いた司は、逢坂のその説明に黙るしかない。いくら馬が合わなくとも、お互い正しいことは認め合う。

「それから、お前の周りの人間のことだが」

逢坂の指す、司の周りの人間とは。もちろん生徒会役員のことだ。他にも幾人か、編入生に関わりの合った面々。編入生に憑りついていた生霊が招き入れた悪霊により、おかしくなっていた彼らのことだ。彼らは皆、編入生が学園へと編入して来てからの数日間の記憶が曖昧となり、更にその後一週間は揃って質の悪い風邪をひいたことで、学園寮にて療養していたことになっている。それら全ての記憶の書き換えを行ったのが目の前にいるこいつ、逢坂の仕業だという。

「明日から登校してくる手筈になっているが。もしお前が上手くやれないようなら、お前の記憶も消す」

「ふざけるな。俺はお前の世話には絶対にならねぇし、俺を見くびるな」

いくら悪霊にあてられて奇行に走っていたとはいえ、編入生がやって来る前、一年の時から共に活動していた仲間だ。今回の事件でその時間が、築いてきた絆が司の中から無くなったわけじゃない。例え自分だけが、空白の時間の真実を知っていても。その時、胸の内に抱いた感情を全て無かったことにしたくても。司はそれを望まない。目の前で起きた出来事をそのまま、ありのままを受け入れ、前を向く。

それが真実の一辺を知る司に出来る唯一のことだ。誰も彼も今回の件で悪者などいなかった。気持ちの擦れ違いから不幸が重なっただけのこと。

「強いな、お前は」

「は?なんか言ったか?」

ぽつりと零された呟きは司まで届かず、逢坂の前に落ちる。

「いや…なんでもない」

例外として司の記憶は消されていなかった。
逢坂としては消したかったのかも知れないが、それは司が断固拒否した。

「…しばらく様子見はさせてもらうぞ」

「勝手にしろ」

「あぁ、好きにさせてもらう」

話しは以上だと、逢坂は話を切り上げて、来た道を戻ろうとして、ふとその動きを止める。

「神谷」

「あぁ?まだ何かあるのか?」

「…お前、その左胸のポケットに何を入れている?」

「は?」

逢坂の唐突な質問に司は己の制服の左胸のポケットに視線を落とし、あぁ…と、大事な物に触れるように右手を胸ポケットの上に添えた。

「九鬼から貰った御守りのことか」

「御守り?それにしては随分と念の籠った…」

特異体質で変な物を引き寄せやすい神谷の存在を掻き消す様な、その気配を上書きするような強い気をそこから感じる。周囲への牽制の為か、何かしるしの様な。ただそのおかげで厄介ごとは減りそうだと、逢坂は一人納得して頷く。

「その御守りとやら、絶対に無くすなよ」

私の渡した魔除けの鈴よりも効きそうだと、逢坂は呟いて司に背を向ける。

「はっ、そんなことお前に言われなくても。誰が無くすかよ」

これは九鬼から貰った大事な物だ。

東寮を後にする時、二週間に一度は東寮に顔を出せと約束させられた。寮が無理なら、学園の外でも良いと言われて、連絡先も交換した。
なんでもこの御守りの効力は二週間ぐらいしか無いらしいからな。

司は左胸に添えた手を離すと生徒会室に向かって歩き出す。

「さて、やることは山積みだ」

九鬼の言う通り、編入生は学園へと編入して来た頃からの記憶が曖昧で、周囲へは二ヶ月前の事故の後遺症が今になって現れたという事になっている。そして、編入生はそのまましばらく母親の入院している病院に入院することになった。

「ん?」

誰もいない生徒会室の扉を開けた所で、司のスマートフォンが鳴る。
画面に表示された名前を目にして、自然と司の表情が緩む。

「はい、もしもし…。何だよ」

画面をタップして電話に出た司の姿は生徒会室の扉の向こう側に消えていく。
まだ本校舎の誰も知らない、生徒会長神谷 司の年相応な素顔がその扉の向こう側にあった。



End.



[ 142 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -